コラム一覧

車社会の地方と都心の運転の違い「地方は頭から駐車する人が多い」「歩行者が少ないと油断しがち」

みなさま安全運転を。 「大丈夫」という言葉を聞くと安心するかもしれません。でも、車の運転に関しては、「大丈夫じゃないかもしれない」という思いが必要になります。 僕は3年前に東京から福井県に移住しました。車社会の福井は、10万人に対する交通事故死亡者数が全国ワースト1位となっています。どんなことが他県と違うのか、車社会の運転事情ってどんな感じなのか。今回は都心と地方の車の運転事情を考えていきます。(文:ちばつかさ) 車社会の福井から出てきて東京で気づく「自転車や歩行者側の視点」 僕の妻は福井生まれで、結婚して一度東京に引っ越してきました。妻は運転免許を取得して5年ほど経っていたので、福井ではなれた様子で運転していたものの、東京の道路事情に驚いていました。 東京は、とにかく人が多い。車の量も多い。自転車も多い。そして道幅が狭いことが恐かったようです。 妻が東京に移住して運転中に一番気にしたのは"巻き込み確認"だといいます。当たり前ですが地方は歩行者や自転車の数自体少なく、歩いている人や車道に自転車が走っていることが少ない(というかほぼいない)。 そのため、福井県にいると、どうしても"巻き込み確認の必要性"を感じにくくなります。妻は車社会から離れ、東京で自転車に乗ったり歩いたりすることが増え、自転車や歩行者側からの視点で運転の危険に気づいたと言います。 駐車場での停め方、東京は「バック」、地方は「頭から」? 道幅が狭かったり人が多かったりする東京。駐車場も一台でも多く入るようにキツキツに作られていることが多いので、駐車も大変です。ぴっちりとまっすぐ停めないと隣との幅も狭くなり、他の車両に迷惑がかかるばかりか、ぶつけられる心配も出てきます。 そう思うとありがたいのが、地方の広い駐車場。福井は東京と比べ、駐車するとき前から駐車する車が多い気がします。僕自身も福井に住むようになり、前からの駐車が確実に増えました。東京はほとんどバックでした。スペースがないので頭から駐車するのは非常に難しいしめんどうなのです。 地方は運転しやすいがゆえに"注意しなければいけないこと"が疎かになることも 今は車社会にどっぷりと浸かっていますが、この地方の特徴である広さや監視の少なさ、歩行者や自転車の少なさが人を油断させ、事故率の高さに繋がっているのかと思います。

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地方の魅力は"開拓の余地がある"ことにあり 環境が整っていないからこそ可能性がある

福井駅前現代の日本では、目の前にものが溢れ、物質的な豊かさを感じることができる一方で、「果たしてこれが本当の幸せなのか?」と悩んでいる人も多いかと思います。 東京から福井に移住した僕は1980年生まれ。失われた20年が始まる少し前に生まれました。僕が子どものころ、国分寺市ではまだバキュームカーが走っていました。道路なんかもボコボコで、インフラにすらまだ改善の余地がありました。(文:ちばつかさ) 何もない場所で一から自分たちで作り上げることで得られるもの あれから30年ほどがたちバキュームカーは姿をみなくなった。インフラはほぼ整い、スマホがあればネットであらゆるものをネットで買えるようになりました。しかし、便利な世の中になったはずなのに、どこか物足りないと思うことはないでしょうか。行動経済学者のダン・アリエリーはホットケーキミックスの話でこの人間の不合理な心理を伝えています。 ホットケーキミックスが市場に出始めた頃、水を加えて焼くだけでホットケーキが出来上がる超簡単な商品にも関わらず売れ行きは不調。そこで開発者は商品を改良しました。その後ホットケーキミックスは爆発的に売れたのですが、その改良というのが"卵と牛乳を入れる工程を増やした"というもの。簡単だったものに1つの工程を増やしただけで商品が売れたのは、人間はなにかにおいて"達成感"や"意義"を求めている証拠にもなります。 恵まれた時代に生まれた現代の若者にとって、そうした達成感を得られることができる場所、というのが地方ではないでしょうか。 昨年夏、福井県で、音楽と里山の融合をテーマにした『Mount of Music』というイベントが開催されました。このイベント、自然の中でただ音楽を楽しむだけでなく、音楽で人の気配を獣たちに感じさせ、耕作地から遠ざけて獣害を防ぐ、という狙いもあります。これも若い世代が企画しました。 また、鯖江市では女子高生が行政に携わるJK課が作られ、話題になったことも記憶に新しいかと思います。楽しみながら何かを企画し作り上げる。今までは社会や経済に対し、選挙に行くことや仕事をすることで働きかけていましたが、あえて一から自分たちで考えて作り上げることで得られる達成感や意義もあります。

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学校の宿題って本当に必要?宿題大国の福井県に住んで感じたこと ただの苦役になっては意味がない

学校の宿題って本当に必要? 千代田区の麹町中学校が、今まで"当たり前"とされてきた宿題や期末テスト、担任制などの教育制度を廃止して話題になりました。しかも、着実に学力が身についており、成果が出ているといいます。 僕の住む福井県は小学校、中学校の学力テストが全国トップクラス(2018年の小学生は3位、中学生は1位)ですが、宿題がとにかく多いのです。長女と次女が通う小学生では毎日必ず宿題が出され、夏休みになれば溢れるほどの宿題を持って帰ってきます。 東京出身の僕は、帰ってきたらすぐに遊びにでかける小学生でしたし、子どもたちも「宿題が多い」と不満をもらしています。はやく遊びたいがために宿題を作業のようにこなしたり、遊んだり会話したりしながらしています。宿題は本当に必要なのでしょうか。(文:ちばつかさ) 子どもにとって宿題=苦役 漢字の書き写しは先に全部ひらがなを書いて、漢字を書く 子どもたちをみると、帰宅するとすぐに宿題に取り掛かります。ノートにぴっちり漢字や文章を書き写し、算数のドリルなどをこなし、毎日親が音読チェックをします。夏休みにも「夏休みの友」なる宿題があります。 この大量の宿題をこなす姿をみていると「ん?」と思うことがあります。それは、子どもたちが"早く終わらせるための技"を使っているのです。例えば、漢字の書き写しなら、ひらがなだけ先に全部書いて後から漢字を書くとか、宿題=作業になってしまっています。 実際、子どもたちにとって宿題は「苦役」くらいにしか思っていません。一方、東京の麹町中学校は「宿題は学ぶためにあるもので作業ではない」という目的の履き違えを訴え改革をし、成果を収めています。 つまり、何のためにやっているのかを理解していれば、苦役ではなくなるのです。宿題を"する"ことと宿題を"こなす"ことでも意味合いが変わってくるし、どのように勉強に向かい合っていけばよいかは親としての疑問でもあり課題です。 宿題しろ!とは言わない。子どもは大人が楽しそうにやっていることをしたがる

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夫婦はいつまでも"恋人同士"でいられる? トキメキばかりを重要視していたら永遠に満足することはない

夫婦はいつまでも"恋人同士"でいられる? 「あの時のドキドキやトキメキはどこにいったのだろう…」 結婚して共にする時間が長くなれば長くなるほど、どこからともなく聴こえてきそうなそんな声。恋人同士の頃は甘い声の掛け合いだったのが、今じゃ愚痴の言い合いになっている。 付き合って、結婚して、一緒にいる時間が長くなれば長くなるほどどうしても新鮮味がなくなっていくのは人間の性(サガ)なのか? それともなにか対策があるのか?結婚11年目を迎えた筆者の経験を踏まえて考えてみたいと思います。(文:ちばつかさ) 大好きなのでも手にした瞬間が最高潮 時間とともにトキメキは薄れていく ドキドキにフォーカスすると、対人間の恋愛でなくても、趣味や物事にときめくことはあるでしょう。筆者の場合なら、車。今の時代は減ってきているのかもしれませんが、購入を決めてから車に乗るまでドキドキしていますし、納車日のトキメキはなんともいえません。 車じゃなくても、プラモデルや洋服など、大好きなものには熱い思いを抱きますよね。でも、手にした瞬間が最高潮で、時間とともに新鮮なトキメキは薄れていきます。持っていることに満足感はあるものの、ドキドキの対象はまた新しいものへ移っていきます。 こと好きな人に対しても、手が届かない時こそ心が揺さぶられる。僕の場合、交際3か月で結婚が決まり、半年間の遠距離恋愛を経て入籍スタートしたのですが、遠距離恋愛中の半年間が一番ときめいていました。 結婚すると、トキメキよりも嫌な部分ばかりが目立つようになりました。手に入れた瞬間、彼女がいることが当たり前になり、胸が高鳴る度合いは徐々に減っていきます。なので、トキメキばかりを重要視していたら、いくら好きな人がいても足りません。 物なら買えば済む話ですがパートナーはそんなわけにはいかない。ではどうしたら限りなくあのトキメキに近づけるのか。結婚生活で感じたポイントをいくつかあげてみます。 ポイントは「きちんと問題解決」「トキメキの形を変える」 ・結婚はゴールじゃないことを理解する まず「トキメキは手に入れた瞬間右肩下がりで減っていく」ということを理解できるかです。「結婚=幸せの継続」という考えでいると結婚後に「何かが違う」となります。結婚はあくまでゴールではなくスタートなんです。 ・問題をきちんとその場で解決する

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