2人目。松井稼頭央という僕の中では第1の“松井”

背番号7。青いヘルメットの後ろからなびく髪がやけにカッコよかった。右投げ両打ち。彼のプレーが脳裏から離れないのは、あのスピード感となんとも言えないトリッキーなグラブさばきにあると同時に、ユニフォームの着こなしが誰よりもイカしてたんだ。あのプレースタイルと見栄えを真似した子供は間違いなくたくさんいたに違いない。
袖からみえる前腕の筋。樹齢何千年もある大木のように太い首。下半身はガッチリと鍛え上げられ、走れば100mを11秒台で走り抜く。
憧れないわけがない。ショートストップとして現れた彼は、「そこ、追いつく?!」という打球に追いつき「そこから投げる?!」という場所からスローイングし打者を仕留めたんだ。

そんなスーパースターもメジャーリーグではブーイングを受けた。メジャー史上初、開幕戦新人の初打席本塁打を放ったあの光景が嘘のように松井らしさが消えていった。メジャーリーグという聖地がどれだけ大きいものだっていうのをこの“松井の失速”で感じてしまったんだ。あの稼頭央はどこに行ったんだ・・・。

僕が野球選手時代につけていた背番号「52」は、プレースタイルから川崎宗則選手だと思われていたけど、実はこのスーパースターがメジャーでつけていた「25」をひっくり返した番号。先に「25」が埋まっていたからとっさに「52」と言ってしまったからだ。

ちなみに福井ミラクルエレファンツ初代「25」はいつか書こうと思ってる優しさの塊でできている男、芳岡弘泰だ。

僕の中では“松井”といえばこのスーパースター松井稼頭央なんだ。憧れすぎて前腕を同じようにトレーニングして、松井稼頭央になりたくて太らない体重を1日7食食べて太らせた。

ショートで勝負したのも彼に憧れたから。
僕の中にはいつも松井選手がいた。憧れだけで終わり全然追いつくことすらできなかったけど、あのスーパープレーの数々はきっと永遠に僕の野球人生を色づけ続けてくれて、思い出させてくれるに違いない。

ちばつかさ こころとからだの中身から

元プロ野球選手の柔道整復師 こころとからだのコーディネーター ちばつかさのWEBサイト

0コメント

  • 1000 / 1000