ついカッとなって、、、。
昨日みつけた記事。
僕も東京にいると駅のホームなんかでよく見かけます。子を持つ身として、特に僕は争いごととか他人のイライラ、怒りみたいなのを避けていたい人間だからなんともいたたまれない気持ちになるのです。
でも、客観的にみると“そうせざるを得ない状況”な時ってたくさんありますね。
何しても泣き止んでくれない。とか。
睡眠不足の時に耳元でわがまま言われる。とか。
何度言ってもわかってくれない。とか。
その一場面だけを切り取ると「もっと違う言い方が、、、」って思うけど、その親やまたその親、住んでる環境、経済状況とか全体を見渡すとそれもまたなんとも言いようがなくなってしまうし、完璧な親なんかいなくて必死に頑張ってるんだろうし。
人って精神的に追い詰められると目の前が見えなくなるのは当たり前のこと。
僕自身も3歳だった長女に怒鳴ってしまったことがあります。今でも反省して後悔してるんだけど、その時はそれが見えないんですよね。心が狭いというか、余裕がなかった。
「じゃあそれを認めて放置?」ってことでもないわけで。
「“つい”カッとなって、、、」何か起きてからじゃ遅いんですよね。カッとなって殺してしまった。じゃ絶対に遅い。遅すぎる。
ってことを絶対に怒鳴ったり叩いたりしている親だってわかってるはずなんですよ。きっと。
絶対に後になって「なんでもうちょっと余裕が持てないんだろう」って悩んでるはず。
「怒鳴られている子供がかわいそう」って僕は思ってしまう人間なので、できることといえば子供を守ることよりも、切羽詰まってる親に余裕を与えられるように仕向けていきたいと思うのです。
表面だけみて「違う!」って思うのも大切。
それって病気になって薬でとりあえず症状抑えるような対処療法でしかなくて、根本的に余裕のある状態を作ることが根治であるなら、個人とか社会とか、政治とかでそんな状況を作っていかないといけないのかなぁなんてふと感じたのです。
すごいスピード遅いかもだけど、院に来てくれる疲れたパパママをスッキリできたら平和になる!なんて粋がってやっていこうと改めて感じた記事でした。
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