中空の中でプロを目指すって?
とっても気持ちのよい水曜日。これから東京に向かいます。
最近仕事で「調整役(コーディネーター」としての役割をする場面が増えてきました。
“心と体のコーディネート”をうたう僕は争いごとがめちゃめちゃ苦手だし嫌いなので、その間に入るわけです。
「間に入る」というのは決して勝ち負けをつける行事の役ではなく、善悪を決める裁判官の役でもなく、お互いの間に流れる空気をきれいで心地よいものに変えるフィルターの役目をしているのです。
会社や団体の中に入り込んで空気清浄機になり、個人と個人の間に入ってはキューピットになり、そうやってジャッジすることもなくフィルターとして風通しをよくする。
勝負しなければ勝つことはないけど、負けることもない。人生はスポーツじゃないんだし勝つとか負けるなんてことはないと思ってるし、何が白で何が黒かなんかその時にはわからないもの。
失敗してしくじってその時点で「負け」って思っていたって、未来で良いことがあればそれはすべて白になるし。
晴れ・雨っていうクッキリとした2つのものを目指すのも素敵かもしれないけど
「これ晴れ?雨?まぁ晴れなら気持ちがいいし雨なら作物育つからいいね」
なんていう曖昧な感じも素敵で大切な気がするのです。
中空がどのように存在するのか?
で両サイドの立ち方も変わる。僕はいつでも中間に逃げることができるくらいがちょうどいいし、逃げてもいいって思えるほどの“なんとなく感”って好きなんだよなぁ。
心理学者で京都大学名誉教授の河合隼雄氏の父性と母性でいうならば、母性として全体を包み込んでいけるような立場でいたいなと思うし、僕にとってそのポジションでいるのがとても楽なのです。
もちろん争いや対立がなくなることが1番いいのだけれど、それがなくなったら人間らしくもなくなるのかな。
でも、逃げる場所があればそれで気持ちも楽になるに違いない。
いつでもそんな立ち位置でいることが、僕自身が“プロジェネラリスト”という曖昧な感じで納得できた所以なのです。
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