親に感謝するべきという考えは親の身勝手でしかない

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「親には感謝するべき」という考えは親の身勝手でしかない 悲惨な虐待事件を受けて考える

「親には感謝するべき」という考えは親の身勝手でしかない 千葉県野田市で小学4年生が虐待死した事件で、父親の暴行を制止しなかった母親に求刑超えの異例判決が、6月下旬にでました。虐待の事件をみるたびに思うことがあります。それは「親には感謝すべき」は本当なのか?ということ。 子どもの頃に「親には感謝しなさいよ」と親や近所の人、先生に言われたこともあれば、大人になって読んだ自己啓発本にも書いてあることもあります。それでも、こんな事件があると必ず親に感謝すべきなのかと思うのです。 僕自身が親になって感じたことは「親に感謝すべき」という言葉は、もっと別の次元の問題でした。(文:ちばつかさ) むしろ、親が子どもに感謝するべき 親という立場の人間は"勝手に"子どもを産みます。当たり前ですが子どもは生まれたいか生まれたくないかの選択はできません。物心ついた時には知らぬ間に"親"みたいな人がそこにいる(「みたいな」と書いたのは、親がいない人もいれば育ての親の人もいれば生き方は様々だから)。 それを踏まえると「親には感謝しなさい」が身勝手な言葉に聞こえます。自分が親になって気づいたのは、むしろ"親が子どもに感謝すべき"ということです。 望まなかった出産ではそう思えないときもあるでしょう。育てている間に「ありがとう」に変わるかもしれないけど、虐待やネグレクトに繋がるかもしれない。それでも、子どもは「産んだのなら愛してほしい」と思うのは当たり前です。 僕には3人の娘がいます。先日、長女と次女が習っているドラムとピアノを姉妹で演奏する場がありました。観ていて「こんなにも楽しませてくれてありがとう」という気持ちが自然と湧いてきました。 もし「親に感謝すべき」という目線でいたら、もしかしたら「できて当然」「もっとちゃんと演奏しなさい」という気持ちになっていたのかもしれません。 今すぐに親に感謝なんかできなくてもいい 「愛されたか愛されていないか」はそれぞれの家庭によって違いますが、愛されなかったが故に、親に対して「感謝」よりも、「憎しみ」や「恨み」のほうを抱いている人も多いでしょう。

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ちばつかさ こころとからだの中身から

元プロ野球選手の柔道整復師 こころとからだのコーディネーター ちばつかさのWEBサイト

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