あなたも僕も大したことのない不完全な人間。
「今、完璧でありたい」「今、完全でありたい」そう思えば思うほど、完璧や完全でない自分自身に嫌気がさしたり、自分の理想を体現している周りの誰かを羨んだりします。
鬱の人なんかとやりとりをしていると、自分自身の中にある“完璧な自分”との乖離があればあるほど自己嫌悪も強くなっています。
まだ死んだことがないのでわからないけど、人生なんてものはおそらく死ぬまでずっと不完全なままで、そのちょっとの埋められてない完全までの隙間が歩く力になるんじゃないの?と思うのです。
でも、過去を振り返ってみるとあの時に思い描いていた場所には実は到達していたりして、理想の円が気づかぬうちに大きくなっていたりするものです。
理想の自分でいるためには、「今、自分は理想通りじゃないし、最終的に理想通りにはいかない」ということを知り、理解して認めるところから始まるのです。
例えば「年収1000万になりたい」という理想があったとして達成したとします。
でも、達成したら人生が終わるわけでもないし、ただそれはミッションコンプリートしただけであってそのあとずっと満たされたまま生きるかというとそうじゃない。
結局またそこに“不完全”が現れるのです。
そう思うと、ちょっと生きやすくなる。
どうやら科学的にも“この世の中には完全は存在しない”ということが証明されているらしい。
完全、完璧が存在しないってことは神がいないってことだね。伊勢神宮には“無”が祀ってあったけど、なにもないところにどうやって不完全な自分を映し出せるのか?が大切なのかも。
あなたも僕も完全でない。神でもなんでもない不完全で未完成なもの。
だからこそ、人生をかけてその答えを探すんじゃないかな?そう考えると悩みやもがきはただの通過点でしかないんだね。
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