白と黒の狭間にいれば、それが白なのか黒なのかわからずに悩む。

体が堪える残暑。そんな中の先日の夕方。夕陽と名前を変えた太陽が西側の空を淡く色付けていた。
福井県に引っ越してきてから、毎日が“合宿”のようで心が躍る。

と思いきや住んでしまえば慣れるもので、小学生時代に感じた“田舎へ帰省”することへのワクワクは減ってきちゃったかなぁ。

東京に家族で住んでた時、年に何回か帰る福井は移動も含めてやけに楽しかったけど今は当たり前な感覚。

先日、妻とランチしながら将来のことについて色々と話した。

定住やマイホームにまったくこだわりがない僕たちはきっと、子供のライフスタイルに合わせてジプシーのごとく移動して暮らすんだろうと。子供たちがみんな東京行きたいってなれば「んじゃ、東京でまた住もっか」ってなるだろうし、「福井の家にはいてほしい」なんてなればそこにしばらくいるだろうし。

とにかく執着もなく、水のように変化に対応できるライフスタイルでいたいと夫婦で結論づけた。

環境もそう、考えやいろんなものもそうだけど執着とかこだわりが強ければ強いほど“らしさ”が形成される分、“捨てられない呪縛”みたいなものに苛まれる。

こだわりがあればそれはそれで武器になったりするんだけど、武器になるまでには度を超えるくらいのこだわりを続けなきゃいけないわけです。普通くらいのこだわりは普通であって特別でもないから強みにはならないね。

それだったら、どんな状況にも合わせられる柔らかさがあったほうが精神衛生上楽だったりもするわけだけど、その“どんな状況にも合わせられる”状態になるまでもそれなりに修行は必要で。

結婚して東京に8年、福井に3年住んでみているけどどっちにもそれなりにメリットやデメリットがあってその時の状況や環境に合ったメリットを探ると人生にとってプラスに働いている感じがします。

一旦どっちかに突き抜けてみると、全体が見えたきたりする

東京しか知らなければ福井の良さにも気づかないし、福井に住んでみなければ東京の良さにも気づかなかったと思う。

悩み事もそうだけど、白にも行けない黒にも行けないグレーな狭間にいるから全体が見渡せずに悩みのるつぼにハマったりします。

それが好きなのか嫌いなのか?は好きになりきってみるか、嫌いになりきってみるかしてみないとわからないもの。

自分の両親とうまくいかず、一回嫌いになりきってみようと思って精神的にも物理的にも離れてみたら“実は家族のことが大好きだった”ことに気づいた。

嫌いだ嫌いだ言い合っているパートナーと、「もう会えない状況」になると、いなくなって清々して楽になるのか?やっぱりいないと寂しいのかで本当に好きかどうかを知ることができたりします。

悩んだらとにかくどっちかに振り切ってみる。振り切ると全体が見渡せて白も黒もグレーも選べるようになる。そうすると、状況に合わせて変化できるようになる。変化できるから精神的に楽になる。

その流れが正しいのかどうかなんかわからないけど、悩んでるなら一回何かに振り切ってみると選択肢が増えるのかも。

ということで、最近は東京の仕事が多くほとんど福井にいないけど、その分“合宿気分”が
復活して短い帰宅期間を楽しめていたりするのです。

振り切って福井に引っ越してよかった。
心からそう思う今日この頃なのです。

ちばつかさ こころとからだの中身から

元プロ野球選手の柔道整復師 こころとからだのコーディネーター ちばつかさのWEBサイト

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