目的が何か?を考えまくって脳を疲れさせる

Yahooニュースでこんな話題が。

中身から一部抜粋。

「“叱るか褒めるか”のどっちかというよりは、それを言われた“子どもがどう思考するか”が本質なんじゃないかと思っていて。『なぜ怒られたのか、なぜ褒められたのか』を考えるプロセスが、子どもの成長につながり、責任を取る1つの過程になってくると思う。褒める教育をマニュアル化するのではなく、何の為にそれをするのかを叱る側・褒める側も考えながらやらないといけない」

野球を教えない野球レッスンは、褒めるときは褒める。叱りはしないけど“子供に責任を負担させる“ことはします。

前にも書いたけど、バッティングセンターで怒られる状況でもあえて放置してたらおじさんに叱られたことがありました。

僕ではなくて、社会に出て迷惑かけるとこうなるってことを教えたかったから。きちんとバッティングセンターのおじさんにも僕の意図したことを話したら納得してくれた。

こんな感じで、“目的の履き違え“をしてしまっている時ってあると思うんです。
僕もたまに目的が曖昧になっちゃってる時があるし。

指導現場でも「怒ること」「ただ頑張らせること」が目的になってる時ってたくさんあった。

「なぜ?」の返答が曖昧で、目的もなくやれケツバットだ、やれ罰走だとただ無意味にやる。

子供たちも「なぜそれをするのか?」が理解できると内的動機が働くんだけど、やらされている間は外的動機付けだから全力出さないね。

目的もなくやることに意味がないわけじゃないんだろうけど、振り返ってみたときに「あれはなんだったんだろう」じゃ時間がもったいないじゃん。

「なぜ」を考えていると取捨選択できるしね。

体じゃなくて脳みそ疲れさせろ!ってどっかで誰かが言ってたよ。

ちばつかさ こころとからだの中身から

元プロ野球選手の柔道整復師 こころとからだのコーディネーター ちばつかさのWEBサイト

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