透明になる。
基本的に僕は“父親“をしていない。
娘たちとは学び合いの仲間みたいなもので、Nintendo Switchとか最近の流行とかは娘に学んでる。
やっていることといえば、立ち止まった時の助言とか、泣きたい時に抱きしめ合うとか、何かやりたくなった時のサポートとか、危険なことへの注意とかそれくらい。
娘たちがどう発言しようと、どうなにかを感じていようと僕は彼女たちを上から抑え込もうなんて思わない。
そんなめんどくさいヤツの娘だから、学校で思いっきり哲学をしまくって“学校行きたくない病“を時折発症させる。
うん。素晴らしいことだ。
“なぜ?“を考えることが大切で、問い続けることで大人になたときに大きく心が成長する。
先に苦しんだことはあとで楽になるのは間違いのないことだというのはこの40年で学んだことです。
家族もそうだし他人ともそうなんだけど、どこか僕は“透明“のような感覚を持っていて、どんなに仲の良い人(ほとんどいないけど)であっても信じるという概念がなくて、まるで水のように透明のように形を変えたり、まるで透き通るような関係性でいたいとおもう。
そうすることで、執着とか妬みや恨みが自分の中から消える。
来るものは拒まないし
去るものは追わないし
信じようとするから苦しくなるし
期待するからショックを受けるし
「まぁ、そんなもんだよね」
くらいに思っていると、自分以外の誰かに心を狂わされすぎることもなくなります。
期待しない。信じない。求めない。
人の一生なんてものは、年月を重ねたからって必ずしも幸せになれるとは限らないのは、このコロナ禍で誰もが感じたことだとおもうし、経営をしていれば計画通りにいくことなんてほぼないってのはなんとなく感じることだし。
透明であれば、水のようであれば
どんな事態になっても変化できるしぶつかることもないんです。
人間関係も子育ても
思いっきりぶつかって苦しんで気づいた
苦しくならない唯一の方法です。
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