ゴールを失うと、1年6ヶ月後に死ぬらしい。
20歳そこそこで自殺したいなんて思って勇気がなくて踏みとどまって、そっから「今までしてきたことと逆のことしよっ」って単純に思って始めた読書。
読む冊数が増えれば増えるほど“わかったつもり”になっていたんです。
そこに経験が加わるとさらに“わかったつもり”になっていってた。
わかったんじゃない。知っただけだ。
“わかったつもり”になるとどうなるかっていうと、“悟ったフリ”(本人は悟ったつもりでいる)をしていてそれを誰かに押し付けようとするんです。
「これが正しいんだから絶対これやれよ!」
みたいな。
でもね、気づくんです。全然、なにもわかっていない。なにも理解していない。
わかってることなんかなにもないってことに。
子供のことなんか全然わからないのに、親だからってわかった気でいる。
妻の気持ちなんかわかっていないのに、旦那だからってわかったつもりでいる。
なぜ空が青いか?なんてわからないし、そもそも人間ってなんで生きてるの?なんて永遠の設問なわけです。
たいした知識と経験もないのにそこに安住してしまっていた僕は、棘ばかりが増えて誰かを突き刺そうとしていた。
今思えば恥ずかしすぎるくらいに恥ずかしい。
さらに。
見て知っていたかのようなものも実はすっ飛ばして必要なところだけ拾い集めてきてるから、見てないこととか知らないことも腐るほどあったってことに気づいた。
踏みつけてきたアリンコの存在なんか知らないよね。アリンコの研究をしてるなら気づくんだろうけど。
そう考えると、自分の枠の中にあるものだけで世界が成り立ってるからそれの外にあるものなんか知ろうともしてないんだね。
家族がうまくいっていないって家族はきっと、その必要性がないからそうなってるのかな。「家族の幸せ」っていう目標とか目的があれば、話し合いをめんどくさがったりしないでしょ。
そう考えると、なにに目標設定してるかでその人が知ってることとかわかったつまりになってることが決まってくる。
どうやらゴール設定、特に自分の思い描く外にゴール設定しないと1年6ヶ月で死ぬらしいです。
なにを目的にしてるか?どこにゴールをおくのか?大切なことなんですね。
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