本気で「みな死ねばいい」って思ってたあの頃と今はどう変わったのか?

はぁ。なんていい天気なんだ。朝起きて天気がいいと気分が良いものです。しかも南海キャンディーズの山ちゃんの結婚会見をみて気持ちまでほっこりしたし。

妻から送られてくる子供の写真にもほっこり。ちょっと怖いけど。
でもやっぱりどこかでは
「天気がいいとか関係ねーし。ふざけんな」
「結婚?幸せとか鬱陶しい」
「子供いるアピールかよ。リア充気取りすんな」
とか思われるんだろうし、思う人もいるんでしょう。
実際コラムがアップされるとボロクソ書かれたりもするわけで。

何を隠そう、僕自身も他人の幸せみて「死ね」とか言ってた側の人間なのです。他人の幸せとか成功とかまったく喜べなかったし、なんとかして自分のことをよく見せようって人を非難してた。

結果どうなったかっていうと・・・
まぁいいことなんか何も起きなかったね笑
体はボロボロ、胃炎、鬱、拒食、円形脱毛、希死念慮。体はいつも悲鳴をあげてた。


こんな綺麗な景色も「綺麗だ」なんて思えなかったし。
人間誰しも不遇なことって大なり小なりあると思うんです。他人にとってはちっちゃなことだって、本人にとってはデカかったりするわけです。

災害で悲しみの渦に巻き込まれることもあるでしょう。
病気で気を落とすこともあるかもしれない。
別れや苦脳の中を歩いているのかもしれない。

僕も1番大切な家族を失ったら、自分がどうなってしまうのか?なんて想像できません。どんなに想像してもリアルに体験はできない。

だからこそ、不遇な状態でいる人は自分より幸せそうな人を見ると攻撃したくなるんですよね。
どうやらコミュニティの中で「上方な状態(コミュニティの中で自分が恵まれていると思っている状態)」と「下方な状態(コミュニティの中で自分が恵まれていないと思ってる状態)」では、前者のほうが幸福度が高いらしいです。

なおさら世間に放り出されたら、しんどくなるよね。こんなに見えるんだもん。幸せそうな人がたくさん。

でもね、僕もそうだったんだけどいくら待ってたって白馬の王子さまは現れない。
不遇な状態から脱出できるようなミラクルってほぼ起きないんです。

自分が動かない限りは。

自分のことを放ったらかしにして、周りに文句言ってる間は決して物事は動きやしない。

自分に甘く人に厳しい間は、どうあがいたって成長なんてしない。

批判や文句が出るってことは、自分が満たされていないんだって言いふらしているようなものなんだ。

まぁどうせこんなこと書いたって批判は絶えないんだと思うけど。

悪いけど僕は幸せをいつもつかみにいきたい。笑いを探しにいきたい。

もうあの頃の自分に戻りたいなんて思えない。

ちっちゃなことにでも「あー、なんて幸せなんだ」って思っていたいんだよね。

今日はいい天気なだけで幸せを感じた。
家族が遠いから寂しいけど、あの時死ななくてよかったって心から思える。

死んだらなにも変えられない!
過去を変えたいなら今を生きろ!

そう思います。

ちばつかさ こころとからだの中身から

元プロ野球選手の柔道整復師 こころとからだのコーディネーター ちばつかさのWEBサイト

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