そこを解決できるかどうか?

一見幸せそうな家庭なんだけど、中身はボロボロってことはたくさんある。
家族の課題を解決させないと、のちの人生まで影響を及ぼすってことを最近再認識しているんです。

理解する努力。認める勇気。
親のことを憎んでいたり、子供の頃に両親が離婚したり、早い時に死別したり、いろんな環境があると思うんです。

僕は借金まみれだった時に4つ下の彼女と付き合ってたんだけど、僕は僕で家族に嫌気がさして家を飛び出し、彼女は彼女で父親に嫌気がさしていて荒れていました。そんな中彼女のお母さんが癌で死んでしまったんです。一番の理解者がいなくなった現実、そして目の前には1番の敵である父親が残った。

僕たちは鬱状態のまま駆け落ちのように飛び出した。お互いの親には一切なにも告げず、2人だけの部屋を借りて住むことになりました。

お互い、家族を理解できなかったからいつもイライラしていたと思うし、親に対して憎む気持ちしかなくて、彼女は彼女で最愛のお母さんに二度と抱きしめてもらえることができない状況だったんです。

2人の生活は荒れ果てていきました。当然、2人の状態も荒れ果てていってすれ違いも多くなっていった。精神的にも肉体的にも限界が来ていたんだと思います。

朝からトラックドライバーとして働き、夜もトラックドライバーをしてた僕はだんだんと仕事もサボるようになり、朝から夕方まで布団から出てこなかった彼女は夜になると動き出し、朝まで帰ってこなくなりました。

たぶん、2人とも愛を求めていたんだと思うんです。親を憎みながらも親の愛を求めていたんだけど、親に対して理解しようともしなかったし、親に対して認めることすら怖くてできなかったんだと思います。

お互いがお互いに依存して離れることができず、毎日がただただ暗いまま過ぎていってたあの日。
親になって気づいた親の偉大さと
親になって気づいた親も人間だってこと

あれからもう20年近く経って、お互いが結婚して家族を持ちました。
僕は結婚した後も親との溝を埋めることができずに、気持ちを隔離させ福井に行くことで距離まで親と離れたんです。



でも、未解決の問題はいつまでも僕を苦しめた。解決しない、しようともしないことで僕は僕自身の首を締めていたんです。

妻の家族と同じ屋根の下で過ごすようになって、笑ってる家族が羨ましかった。そんな中で気づいたんです。
親は必死だし、親も失敗する人間なんだって。そして僕は家族を求めているんだって。

きっと子供ながらに親というものは完全というシンボリックなものと思っていて、そうじゃなかった(勝手にそうじゃないと決めつけていた)ことを完全じゃない僕は偉そうに憎んでいただけだし、うまくいかない人生をただただ勝手に親のせいにしてただけなんだって気づいた時、いろんなことを理解することができて、いろんなことを認めることができたんです。

彼女もきっと、時の経過とともに「死」というものを理解して認めて受け入れて解決できたんだと思います。

解決できない問題を、いつまで抱え込んでいるのか?

きっと1つ1つをその時その時に解決していくことで、のちに苦しみや悩みを繰り越さなくなるのに、人間ってそれに必死になって蓋をして見ないふりをして過ごすんですよね。

でも解決してない問題はいつしか心を侵食していることに気づく。

今の妻は過去、母親に対して

「そんなに私が必要ないなら殺してよ!」と包丁を持ったことがあったそうです。

その解決されず残っていた問題は、昨年末に解消された。あんなに涙を流して子供も含めて家族で話し合うことなんてそう出来ないと思います。

でも、とても大切なこと。
なによりも大切なこと。

とっても勇気がいることなんだけど、執着している問題、特に親との関係性への執着はいかに理解して、いかに認めて解決させるのか?は生きていく上でとても大切な問題なんだって思うんです。



ちばつかさ こころとからだの中身から

元プロ野球選手の柔道整復師 こころとからだのコーディネーター ちばつかさのWEBサイト

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