ダイアログの大切さと大変さ。親との問題をどう考えるのか。
何ヶ月かに一回、とある人の車に便乗させてもらって車で東京に来るんだけど、道中ダイアログをするんです。あんなことやこんなことをただただ解決もなく話す。
ディスカッション
《目的 》合意を作り出す / 優れたアイディアを選び出す
《勝者 》より優れたアイディアの発案者
ダイアログ
《目的》相互理解を作り出す
《勝者》全員
僕はこうやって「結論のない対話や会話」が好きで、クライアントさんなんかともただただダラダラといろんなことを話しながら、お互いが勝手にいろんなことに気づいたりする瞬間に気持ち良さを感じます。
でも、内容によってはめちゃめちゃ時間と労力が必要なダイアログがあるんです。それが親子関係なんかの“壊れてしまった関係の修復”。
昨日も院にいらっしゃった方とその話をしてたんです。
ちょうど4年前の今くらいの時期、何度もブログで登場するけど名古屋のあのおじさんに会いに行った時にこのダイアログの大切さと大変さを同時に感じたのです。
僕は解決なんておこがましいことは求めなかったし、おじさんの本当の気持ちとか、おじさん自身のことを知りたくって、その上で「本当は片付けたい」という気持ちがあるのなら手伝おうと思って現地に行ったんです。
おじさんが「片付けたい」って気持ちに気付いたのはダイアログを始めて3日くらい経った時だったかなぁ。多分対話自体は20時間以上したと思う。
ダイアログって大切なんだけど、根気が必要だし、つい人間って白黒つけようとしてしまうからそれをやんわり消しながらしなくちゃいけない。これを理論的にって言われても説明ができない。
昨日は2時間くらい院にいらっしゃった方と会話してて、「親とのダイアログってけっこう大切だけど、親とのダイアログが1番しんどくて根気がいるからみなできなくて、でもその拭えない気持ちはあるから、それを人生に投影して日々を形成しているんじゃないか?」って思ったのです。
昨年末、親子関係のわだかまりを家族全員と対話した。ドロドロとした気持ちをみんな持っていて子供たちもみんな涙流すくらいの会話になったんだけど、そのしんどい2、3時間を過ごしたおかげで今スッキリとした気持ちで日々を過ごせてるし、あれからさらにやんわりになった気がします。
社会にあるのは法律というルールなんだけど、抽象度を上げて考えれば正しさも善悪もなにかなんてなかなかわからなくて、何が白で何が黒かなんてわからない。
だからこそ、対話することってめっちゃ大事な気がするし、自分でそうやって他人との関係を作っていくことができたらいいのかなと思いながら今日もたくさんの人とダイアログしていこうと思うのです。
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