どうやら「自分」っていらないらしい
もうちょっとで髪の毛の色を変えて1周年。白髪が増えてきたから「いっそのこと白髪にしよう!」って思って白く(月の半分は金髪に近いけど)したんだけど、そんなことは他人にはどーでもいい話。
自我ってやつなのかな。
哲学的な自我を考えると難しいしめんどくさいんだけど(エゴとかイドとかなんだか難しいね)、仏教だとこの「自我」をなくしてこそ涅槃に近づくなんて言われます。
まぁつまりは「僕は白髪。いいでしょ」なんていう白髪にしたい!白髪にしてカッコつけてモテよう!なんていう欲は煩悩であって、それは他人には関係ないのに「君も髪の色変えなよ!」なんていうのは
自分らしさの押し付け
でしかないわけです。あってるかどうか知らないけど。
子供に対してイラつく
旦那や妻に対してイラつく
会社の同僚にイラつく
友達が嫌だ
あいつの意見は気に入らない
そんな他人に対する不快感ってものは、自分の中に確固とした“自分らしさ”みたいなものがあって、それで生きてるから相手をそれに合わせようとする。で、合わなければ合わないほどイラつくし攻撃するし。
知り尽くすことなんかできない自分を知ろうとすることは大切だし、自分はこうだみたいな感覚って大切なんだろうけど、それが必ずしも他人に当てはまるわけではないし、正解なわけではないし。
そういう点では自分らしさなんて必要ないね。
時と場合によって自分なんて捨てればいい時もあるのかも。
他人を巻き込めるほどの自分を貫いて、自分は自分で他人は他人って割り切ってれいばいいけどほとんどの人はなかなかできないね。
どうしても偽りの中で生きてる。僕も時に偽ってる笑
職業柄カメレオンのように合わせる能力を身につけてしまった。“本当の自分”なんてどこにあるのかはわからない。
他人に対して悩みや不安が絶えないのなら、一回自分なんて捨ててしまえばいいのかも。
「あー、そんな考えもあるよね」「そんな思いも面白いなぁ」とかって素直に自分に落とし込んでいくと、新しい絵が描けたりして。
プライド高くて自分の意見とか考えを押し付けてくることほど苦しくて重いものはないね。あなたが絶対なんてことはあり得ないじゃん。
じぶんはじぶん。他人は他人。
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