個人的か集団的かは育った環境が作る。
社会の中にいると、他者との関係性の中で生きている人と、個人的な関係性で生きている人がいます。つまり、親とか周囲の人との関わりを気にしながら生きているか、関わり関係なく個人的な世界を生きているのかの違いです。
僕は完全に個人中心でその周りに他者がいるんだけど、日本の文化っていうのは”関係性”を大事にします。だからこそいろんな場面で”空気感”が出来上がるんだろうね。
↓相互協調的自己観
↓相互独立的自己観
なんでこの文化になっているのかというと、欧米との子育ての違いがあげられます。
欧米は乳児でも一人で寝かせるのに対して、日本はほとんどが親子同部屋で寝ます。
この文化の違いが大きくて、そこから考えると
幼少時に親や周りとの関係性がどうだったのか?
はその後に大きく影響します。
僕の場合、親が毎日喧嘩しているのをみていたので、いつしか関係性を切り離していました。幼いながら切り離された中で、いろんなことを考える。それが周りに理解されないとさらに関係性の離断に拍車がかかる。
そうやって育った関係で、親や他者との関係に依存することなく、1人でなんでもこなそうとして潰れたりするわけです。誰かに頼んだするのが超絶苦手で、自分でやって誰かが喜んでくれればそれでいいって思っちゃう。
今はそれがアイデンティティだと思って特技にしてるけど。
逆に、関係性を持続させてきた人にとっては、親や親戚、友達との関係を重要としてその空気感に合わせようとします。
親がどう思うか?
周りにどう思われているのか?
それに依存します。
よく言えば協調性があって、気遣いができる。悪く言えば他者にコントロールされてしまうということ。
もちろんどちらが正しいとかはないんだけど、その特性を知っておくと自分は何が得意で、どんな場所だと力が発揮できるかがなんとなく分かったりします。
集団が苦手なのに集団作ろうとしてもギクシャクしちゃうし、組織の中にいるほうが力発揮できるのに会社立てて自分で頑張ろうとしちゃうと軋轢が生じたりします。
どんな生い立ちだったのか?
どんな環境で育ってきたのか?
振り返ってみることで、自分の心地よい場所が見つかるかも。
逆にそれを変えたいのなら過去の生い立ちを一回ぶっ壊さなきゃいけなかったり、そのために思いっきり生活環境変えてみたりするといいのかな。
社会の中を生きていると、いろんな関係性でつまずくこともたくさんあるけど、自分の特性を知りながらうまく、そして適度にダラシなく生きれたらいいなぁなんて思うわけです。
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