適応できないという障害は、障害と思っている間は障害であり続ける

先日はランチをご馳走になり、仕事の一環とはいえヒモっぽい感じで生きております。

先日ようやく大学の認定試験も終わりひと段落したんだけど、勉強してた中で

適応障害

ってのが出てきたんです。

適応するために努力しようとした結果生じるストレスによって心身に影響が出るんだけど

(念のため定義を→「ストレス因により引き起こされる情緒面や行動面の症状で、社会的機能が著しく障害されている状態」)

僕の場合、小学校の頃に“普通“に適応しようとすればするほどしんどくなってハゲてたのです。中学の時は少しだけ学校行かなかった時もあったし。(→この時は1人でチャリンコ乗って雨の中目的もなく走ってた。ヤバいやつだね)

今でも大勢のところにいると人のことを気にしすぎて観察しまくってしまうから、そこから出た時にどっと疲れが出たりするし、それがピークに達すると円形脱毛になったり。

祭りごととかパーティー系も苦手。
気にしすぎて観察しすぎて疲れるから。

それは家族にまで及んで、家族といるのは好きなんだけどあまりに気にしすぎたり観察しすぎてしまうから、どうしようもなく居た堪れなくなったり、イライラしてしまったりします。

先日も妻が子供に怒る状況を観察しててどうにもならない衝動に駆られしばらくしゃべらなくなったんだけど。

妻は僕のその気質を理解してくれていて、大勢のところを避けている僕を気遣ってくれる。

って聞くと「めんどくせーやつ」ってなるよね。自分でもずーっとそれが嫌で仕方なかったんだけど、ある時にそれを受け入れて認めた瞬間

「あ。これって特技かも」

って思えた。
自分の中にあったものに対して

障害→特技、武器

って思えたから、それを全面に押し出し、隠すことなく人に伝えて、いつの日か仕事にしてた。

観察すること、気になることが辛かった→それを特技に変えたら体や心の状況を観察する能力に変わった。

自分のコンプレックスって見たくないし、コンプレックスを他人と比べると自分が否定されてる気分になるんだけど、武器に変えちゃえばなんとも思わなくなるって不思議だなって思ったわけです。

閉じこもって仕事してるのも、それが得意なわけであって“適応できない障害“ではないって今では有り難く思える。

しかも最近それが仕事の結果として少しずつ感謝されるようになり、「カウンセリング&コーチング受けてよかった!」と言ってもらえるとなおさら自分で

「適応しないことを認めてよかった!」

って感じるのです。

不幸って、不幸って思ってる間はずっと不幸なんだよね。
肩こりも「私って肩凝り」って思ってる間はずっと肩凝りだし。

ほんと不思議。

「自分はなんでこんなに普通じゃないんだ」

って思うよりも「普通じゃないオレ」を受け容れちゃったほうが楽だし。

そんな感じで今はガツガツと昔はしんどかった自分の嫌な部分が武器となり能力になって仕事させてもらってます。

まずは考え方をちょっと変えてみるところから。そうすると行動も少しずつ変わる。

行動が変わった結果が今の僕なのです。







ちばつかさ こころとからだの中身から

元プロ野球選手の柔道整復師 こころとからだのコーディネーター ちばつかさのWEBサイト

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