100点を取れない男の末路
大学の後期認定試験が終わった。
何度も何度も見直すんだけど、どの教科も必ず2問くらい間違ってる。
そうだ。そういえば100点を取れない男だったんだ。すっかり忘れていたぜ。
父親としてもそうだ。旦那としてもそう。
おねしょするような男が満点を取れるわけがない。妻を完璧に喜ばせるための努力はするものの、完璧どころか自分の欲が勝ってしまう男が100点なんてありえない。
100点には絶対に届かないんだった。
1位の人が羨ましい小学生時代だった。クラスや野球チームには必ず自分よりすげーやつがいて、卒業アルバムとかでよくある
「かっこいい人ランキング」みたいなやつもたいてい4位とか微妙な感じだったし。
そういえば市のマラソン大会も1位じゃなくて4位だった。
そんな感じで小学生の頃から1位とか満点を取れない男は、アラフォーになってもまったく満点を取れないのである。
完璧主義だったらとっくに自分を刺して自害するレベルだね。
そしてその“満点取れない病“はつい何年か前まで自分を苦しめてた。
「なんで自分だけ」「これだけやってもなんでだ」という自己否定に襲われていた。
完全に劣等コンプレックスだったし、嫌いなところだった。
高校の時も誰よりも練習してると思っていたのに「お前はセンスだけでやってる」と言われる始末。
そんな中一つの出来事。
36歳になった時、娘の横で大量のおねしょをしたやつね。
その時に気づいたことが
あ、人間完璧になんかなれないんじゃん
って気づいた。
親だからって粋がってた自分が恥ずかしくなった。偉そうに親気取りでいたけど、上下の関係なんかなくって横の関係じゃんって思った。あれから子供から学ぶことが急に増えた気がするのは、“親だからこうあるべき“という概念を捨てたからだと思う。
仏教を勉強した時、お釈迦様も“修行しても悟れないってことを悟った“って話をきいて
「あ、なおさら凡人の僕が満点取ろうなんて無理な話じゃん」って思ったのです。
満点取ろうと頑張ることは大事だけど、満点なんか取れないし取るものじゃない
って思った時、急に自分自身のことを許せるようになった。んで、自分自身を許せるようになった瞬間、他人のことも気にならなくなった。だって、みんな個々人が“未完成“だから。
ということで、100点取れなかった言い訳としては満点な回答のはず。
くそ!首席で卒業してやろうと思ったのに!
満点なんかクソくらえだ!
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