すべてが偶然で意味はない。けど…
昨日は福井県立大学に招かれて、文化人類学教授とその生徒さんとお話の機会を頂きました。
ヤバイ。めっちゃ楽しい。
教授レベルの会話って本当に楽しいし勉強になるし、自分自身がどこまでついていけるかっていうのを知ることができるからなお楽しい。
野球ばっかやっていたヤツが、教授とお話しする機会をゲットさせてもらったんだけど、こんなのは必然ではなくてただの偶然でしかないね。きっと。
どうやらスピリチュアルとかだと「運命」とか「必然」とか言うのかもしれないけど、明日のことが誰にもわからないように、未来に起こるであろう何かを「必然だった」「意味がある」なんてことは言えないわけです。
僕が福井にきたのも偶然で意味なんかないただの空白。今こうしているのも偶然。
でもね、偶然で意味がないものだからこそできる作業が存在するんです。それが
自分でそれに意味づけする
ってこと。
しかも、意味づけするからこそまた次もそれに付随してくる。チェーンのように繋がった感覚になるんじゃないか?と僕は勝手に仮定してる。
意味づけするのは誰?紛れもない自分自身。
だからこそ自分自身を蔑ろにする行為っていうのは結構デンジャラスなんだと思うんです。
意味なんかないよ。
だって、見えてるものぜーんぶ細かくしてったら一緒なんだもん。
好き勝手意味づけしてそれを「運命」とくくるんだったら、都合よく解釈した方がいいよね。気持ちがいいし。
ってことで今回はストレスについて。
文と全然関係ないけど。
ちばつかさ の心理学部心理学科↓
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