する側とされる側の立場が逆転したらどうなるのか?「アイツはクソだ」とクソな人が言ってる滑稽さ。
昨日委員会中継みてたらを渦中の森法務大臣が野党議員から追及されてた。
それはいいとして、する側とされる側って立場変わっても同じように追求するのかな?ってふと疑問が湧いた。政治で言えば与党と野党がひっくり返った時に身内が同じことをしたら同じように追及するのかな?って。
誹謗中傷もそう。
たぶんこれはわかりやすいと思うけど、する側とされる側の立場が逆転したら絶対にしないよね。してたら相当な強者。
うちの義理の父が「精神が弱い」なんて言ってたけど、それは浴びるほどの誹謗中傷を受けたことがないから簡単にそう言えるんだと。全力で反論しといた。僕は考え直してみたほうがいいことは身内にでも容赦せず言うのです。
おそらく、こんな感じで相手の立場になって考える想像力が欠如しまくってるんだって思うんです。
世にはそんなことが溢れかえっている。
文句を言うくせにいざ自分がその立場になったらなにも言えない。
「アイツはクソだ」と言ってるけど「自分もクソだ」ってことに気づいていないんだ。
つまり、全知全能の人間なんていないのに他人を卑下して全知全能のフリをする。
残念ながら人間なんて他人にあーだこーだと言えるような存在じゃない。ダサくて不完全で弱い。ダサいから社会には“法律“ってものがあるんだと思うんです。
立場が変わって態度を変えるならそもそもそれをしないほうがいいね。
人間って1人じゃないから他人と比較する。
比較して自分自身の社会的な立ち位置を確認するからこそ湧水のように、嫉妬や羨望、欲求などが湧いてくる。
で、比較した他人を蹴落とすことで自分の立ち位置を守る。
なぜ誹謗中傷するか?は人間がダサいから。
なぜ戦おうとするか?は人間がダサいから。
いつまでも精神的平和にならないのは人間が自分勝手でダサいから。
人間が完璧を求めようとすればするほど平和からは遠のいていく。と僕は勝手に思っているのです。
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