妻と三女が交通事故死。そんな話を長女と次女と話したらこうなった。

もしもおっかぁとさっくん(三女)が交通事故で死んじゃったらこの3人やね
昨日、妻は仕事、三女は保育所に行ってたから長女と次女と僕と3人だけの時間がありました。

だから冒頭の話を長女と次女としてみたわけです。


「ねぇ、もしおっかぁとさっくんいなかったらどうしよっか?どこに住もうか」


「このコロナのことでよくわかったと思うけど、いつなにが起こるかわからないし人間いつ死ぬかわからないよね。」

そんな話からスタートした。

いつもいつもこのめんどくさい男の話を真剣に聞いてくれる娘。

「福井に住もっか?でももう今のところには住めないね。トトの家じゃないから。で町営団地に住んで、トトが東京に行く時だけ今の家にいるようにする?」

こんな話をしてたから、娘たちは

「なんか悲しくなってきた」「死ぬのやだ」

そう言い出した。

「私、毎日毎日泣いて、学校も行けないかもしれない」だって、お母さんいる子をみたら絶対に悲しくなるもん」

「きっと3人で毎日お仏壇に手を合わせて泣くんだろうね。毎朝一緒に3人で泣いて、「今日も一日がんばろう」って言ってさ。でも、世の中にはお母さんお父さんいない子たくさんいるね。音ちゃんがそう思うってことは、その子たちもそう思っているんじゃないかな

死ぬことなんか普通は想像しない。したくもないことなんだけど、想像するからこそ大切に思えることもある。気づくこともある。

今回は娘が自分でそれに気づいた。

「ねぇねぇトト。TikTokで悲しいやつがあったの。その日喧嘩してわかれたお友達が死んじゃって「なんで最後喧嘩したんだろう」って後悔したって。そんなの嫌だね。私だったらずっと悩んじゃうし後悔すると思う。」

「もしさ、かのちゃん(妹)と喧嘩して明日かのが死んじゃったら?もしさ、おっかぁに文句を言ってケンカしておっかぁ死んじゃったら?後悔するよね。だからさ、ケンカはその時だけにしよう」

僕はそこに気づいたことが1番良かったって思えるし、そう思うってことは人を大切にできる証拠だとも思えた。

当たり前にそこにあることを当たり前に思っていたら絶対に気づけないこと。

そんなことに気づいたのは「死」を考えたからこそなんだと思った。

僕がする道徳の時間。

その日、子供たちはやけにおっかぁとさっくんに甘えた。ぶつかることなく甘えた。
そして僕も、妻を余計に、愛せた気がした。

ちばつかさ こころとからだの中身から

元プロ野球選手の柔道整復師 こころとからだのコーディネーター ちばつかさのWEBサイト

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