「令和こそは!」ってもし思ったってことは・・
最近、コラムやなわとび、接骨院に関してラジオやテレビに少しずつ出るようになったんだけど、いざ!という時にうまく話せないことは多々あるし、メディアじゃない場所での会話1つとっても「あー、もっとこう言えばよかった」「なんであそこで笑いを取れなかったんだ」と反省することが多々あるのです。
これはランドリーにいたら取材されただけだけど笑
前に代々木上原院をタレントの水野裕子さんが取材しにきてくれた時、彼女のスイッチの入り方をみて「場数踏んでるなぁ」と心から感じたんです。
空いた時間をどう使うのか?
プロ野球選手になるためにとにかく空いたすべての時間を「野球」に費やしていた記憶を思い出した。横断歩道を渡る時「これは何か野球に活きないか?」と考えたり、医学書とか宗教本、ビジネス書なんかを読み漁って「何か野球に通じないか?」って思ったり。とにかく1秒1秒を野球に費やしてたんだけど、まぁ才能がなかったのか努力が足らなかったのか運がなかったのか、プロテストの最終をパスしたけどドラフトには呼ばれなかったんです。あれから15年。
次のさまざまな目標を立てた時「空いた時間をどう過ごすか?」ってその目標や憧れなんかが大いに影響することがある。裏を返せば「行動を見ればどれくらい本気でそうなりたいと思っているのか?」がわかってしまうんですよね。
野球を教えない野球レッスンとか、なわとび教室とか、あとは自分の娘の子育てなんかをしている中で「子供たちがどれくらい目の前のことに夢中になっているのか?」は1つの視点として大切で、「夢中になる」とやっぱり行動って変わるんですよね。空いた時間までもをそれに費やすようになって、時間が終わってもまだやってたり、ご飯食べててもその話をしてたり。
果たして僕たち大人は、生きることに夢中になれているだろうか?と気負いしてしまうくらい。いや、気負いしてる。
昨日も子供たちは自転車乗るのに夢中になってた。遊びに対して夢中になるってのは、大人にとっては何に夢中になるってことなのか?仕事?
で、そんな子供たちを横目に空いた時間を「もしメディアに出た時うまく話せるように」と意気込んで、空いた時間にYouTubeみて自分だったらこう話すなぁとか、本読んで引き出し増やそうと15年もの間試みてきたんだけど、まぁ最初っからはうまくいかないのね。
場数が必要。立ち止まって考えたりすることも必要。なにかに思いっきり夢中になることも。普段してる小さなことでも「これはのちに何かに必要かも」って思って過ごすのと、ただただぼーっと生きてるのでは僕みたいな凡人にとっては大きな差が生まれてくるのかなぁと感じるのです。
人の心と体をコーディネートし始めて10年。10万人近くの人と向き合うくらいの場数は踏んだから今お金を頂けるしね。
令和元年になりました。きっと「令和こそは!」って意気込んでる人がいると思うけど、きっとそれって「今年こそは!」って思っていつも失敗してるからこそ思うのかも。
そんな時たくさんあったし、今もたまーにあるし笑
人間ってどこまで怠惰な生き物なんだ!って思う。
普段、普通の時間をどう過ごすか?のほうが大切かも?っていつか思ったんだよなぁ。
結婚生活も子育てもそうだった。
普段をだらしなく生きてると、いざって時にほんと困るね。これからも楽しみながら頑張ろっと。
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