13人目。“聴こえない”を越えて聴こえてくる心の優しさ。僕に「心」を教えてくれた人。

共鳴とか波動とか、そんなものは目には見えないけど僕に初めて「心が響きあい、共鳴する」なんていう哲学的なものを目の前で教えてくれた人。それが叔父である“まさるおじちゃん”だ。

子供の時不思議と「なぜこの人は耳が聴こえないのだろう?なぜこの人は言葉を発しないのだろう?」と思わなかった。

僕の中ではおじちゃんはおじちゃんであり、人にあるホクロのように「耳が聴こえない」なんてものはただのおじちゃんの特徴でしかなかった。でもきっとそれは、おじちゃんがその障がいと向き合い理解して認めることをし続けてきた絶え間ぬ努力の成果なんだと思う。

絶対に見せないんだ。苦しい、生きづらい。そんな素振りを絶対に見せない。いや、もうおじちゃんは生きづらさを越えて、今生きてることを活かして会話をしているんだと思う。

傾聴する。
それは、なにかのセミナーで教えられるような他人との関係性を深めるための手法なのかもしれない。僕はあの時、おじちゃんが伝えようとする思考や意識を一生懸命理解するように努めていた。自然と傾聴していたんだと思う。というより、そうしなければ温かいコミュニケーションが取れなかったから。

表情をみて、口の開け方を観察する。
僕の口の開け方も自然と大きくなった。わかりやすいように丁寧に会話をしていたんだと思う。

いつしかおじちゃんは僕に向かって「つかさくんの口が1番わかりやすい」そう言ってくれた。
幼い時、発熱して熱が上がり聴力を失った。
その時から“世の中の声”や“社会の音”が聴こえないおじちゃん。
60歳を越えてもどこか幼心が残り、純粋で愛着がある。時にそれが社会の中では大人げなく映ってしまうこともあるかもしれないけど、僕はその純粋さや愛らしい姿は見習わなければいけないものだと思って接してきた。

1番気を使ってくれる。本当の意味で心を使って話をしてくれる。何か不都合な話し合いをしていれば聴こえないフリをするのもおじちゃんの愛らしさ なんだ。

「心で会話をする」
僕の娘はおじちゃんのことが大好きで、娘も心で会話をする。それを娘に教えてくれた。

世界は不満足なんかでできていない。
それを不満足だと思った瞬間に不満足の世界が出来上がるのである。

おじちゃんの心は満足で満ち溢れている。

障がいを乗り越えて明るく楽しく生きるおじちゃんは、いつまでも僕の中のヒーローであり、哲学の先生であり、そしてお友達なんだ。

大好きな僕の叔父。まさるおじちゃん。
いつもありがとう。

ちばつかさ こころとからだの中身から

元プロ野球選手の柔道整復師 こころとからだのコーディネーター ちばつかさのWEBサイト

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