18人目。僕に夢を語ってくれた。心の叫びを“集める”ことで表現した。名古屋のおじさん。
4年前のこの時期。この時期になるといつも思い出す人物がいる。
仕事から帰りテレビをつけると連日ワイドショーを独占していた。「ゴミ屋敷」と報道されて。最初は顔も出ていたと思う。
テレビはどうしても事実が脚色されてしまうけれど、「このおじさんはきっとなにか訴えているに違いない」「これはなにか考えがあるのでは」そんな気分にさせてくれる表情をしていたんだ。
なんだかいてもたってもいられなくなって、場所も知らないのに、仕事も独立したばかりで収入もなかったのに名古屋へ向かった。
それがおじさんとの出会い。
想像以上だった。あの景色と空気感。独特の世界が目の前に広がっていた。
世間からは悪者にされて叩かれていたおじさんは、一躍時の人。若者に囲まれて上機嫌に話す。
もちろん、社会的には許されることをしているわけではないけど、こうなってしまった経緯を聴くとどこかに致し方なさを感じてしまった。
「いつ、何時僕自身がこうなってしまうのか?」を教えてくれた気がする。
迷惑をかける。ここを外せばひとりの人間だ。でも、「片付けなきゃいけないのはわかってる」という気持ちも持ち合わせていて、その複雑でじゃみじゃみした気持ちはなかなか拭えない。
僕にはそこの狭間で戦っているようにも見えた。
夢を語り、目標を夜な夜な語り合った。
「作りたいものがあるんだ。」そう語った時のおじさんの目は、本当のおじさんだって思えた。
人は簡単に人を批判する。
でも、人間なんて壊れやすくて脆くて、どこかダサくてカッコ悪い生き物。
僕の目の前にいたおじさんは、ノーマルとアブノーマルを一瞬一瞬で切り替える。紙芝居のように、一枚一枚どちらかをあらわにした。
人間って標準がどれかなんかわからないけど、社会っていう囲いの中ではそれなりのルールがなくてはいけないルールがあるからこそ自由になれる。
ルールの中には自由があり
自由を優先させるとそこにルールがなくなってしまう。
そんな社会を生きる僕たちは、なにを考えてなにをすればいいのか?
人間っていったなんなのか?
そんな哲学みたいなやつをおじさんに教わった気がする。
おじさん、ありがとう。
またどこかで会える日まで。
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