「無」になること。世の中のことなんか自分に都合よく解釈しちゃえばいい。

コインには表と裏とその縁の3面がある。
君はどの側面に座る?私の側面ではフェアだ

これは「金持ち父さん貧乏父さん」のロバート・キヨサキにインタビュアーが「ロバートさん、ズルくないですか?と聞かれたらなんと答えますか?」という質問の対する答え。

側面ねぇ。たしかに世に精通してる人は表も裏も知っていて、さらにはそこに“側面”があることを知っているんですよね。

側面に座ってそれを眺めている人が大金を稼いで世を牛耳ってる。

成功=金

という思想のもとではそれが正解!なのかもしれないね。資本主義ゲームでの勝者はモノポリーの勝者みたいなもんだ。量的で、数値的なものでは。

最近、「死んだ時ってどうなるのかな?」って考えたことがあって、きっと眠りについた時に“何もなくなる”が永遠に続くんだろうなぁって思った。目覚めないままそのままでね。

仏教思想の中に“無の境地”「空」っていうのがあるんだけど、それを考えると金とか名誉とかもそのうち“無”になるんだよね。資本主義に照らし合わせるのなら、タンスに入ってるお金なんてあってないようなものじゃんね。ただの紙切れ。使わないとそこに意味を持ち得ない。

コインの表。裏。そして側面。さらには“コインなんか存在しないよ、そこには”までいって。それを場面場面で自分に都合よく解釈して出し入れできると悩み事なんかなくなるし、やたらと平穏が訪れる。

昨日考えまくって頭痛くなったから般若心経を流してぼーっと聴いてたら「無」に戻った。意味もない(意味を理解してないから意味がわからない。意味がわからないから意味もない)ことをただただぼーっと聴いてると「無」に近づく。瞑想ってやつだね。

でもね。
すげー突き抜けてる人ってこんな話が通じる。大成功を収めている人ってその大切さを熟知してたりする。

そこに“自分がない”からいろんなことを吸収できるし、そこに自分を見出すから“自分らしく”も居られる。

大投手が直球、変化球を使ってストライクやボールを“出し入れ”できるように、めっちゃ都合よく思考を出し入れできるんだね。

それができるようにするには、、、学びしかないね。


ちばつかさ こころとからだの中身から

元プロ野球選手の柔道整復師 こころとからだのコーディネーター ちばつかさのWEBサイト

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