「そんなことないよ」って言いたいし言ってもらいたい。だけどできないジレンマ。
子供たちは思いっきり毎日を生きているので、いろんなことにぶつかりまくって悩んだりするんだけど「そんなことないよー」「大丈夫だよ」って根拠もなく親として言いたいし言います。時にはギュッと抱きしめたり。
妻にもそうしたい気持ちはあるんだけど、一緒にいる時間が長くなるとどうしても理屈で話てしまう。ここはめっちゃいつも後悔と反省。
妻って話に共感して共有してもらいたいだけだし、「抱きしめて欲しい」って時にただ優しくしてもらいたいだけなのに、ついつい理屈やサラッとした話で終わらせてしまう。
ごめんとしか言いようがない。
まだまだ大人になりきれない、自分のことで精一杯なダサい人間です。
いろんな人の悩みごと聴いて「そんなことないよー」「大丈夫だよー」ってもっと優しく聴いてあげたいし包み込みたいって思うけど、直球が得意で冷酷な僕はついついど直球を投げ込んでしまうのです。
僕自身も考えすぎの虫が湧いてくると「あーーーーーーー!!!」ってなるんだけど、そんな時は誰かに優しくしてもらいたくなるのに。思いっきり褒められたいし持ち上げまくって欲しいし。
昨日あがったものも書いたあとに「もうちょっと優しく書きたい」とか「共感力高めなきゃいけないのかな」とかって反省するんだけど、なんでだろうまた考えるのです。
来談者中心療法ってのをアメリカの臨床心理学者カール・ロジャースが始めたんだけど、話をきいて共感してってのはとっても大切。
僕のところにくる人って多種多様なことで相談にくるんだけど、
・来談者中心で会話したほうがよさそう
・直球をガンガン投げたほうがよさそう
・嘘も方便使うとよさそう
・論理的に数学的がよさそう
・哲学的がよさそう
・感情重視がよさそう
などなどいろんなパターンがありすぎて、時々混乱するのです。特に会ったことがない人だったりするとなおさら。
「大丈夫だよ」「そんなことないよ」と言いたいけど、それじゃなんの解決にもならないしなにも変わらないこともあるんです。お金もらう以上はそれなりに結果を出さなきゃいけなくて、「そんなことないよー」の先になにも状況が変わってなかったら意味ないわけで。
本当は解決なんかいらなくて、他人じゃ解決なんかできなくて、自分の中でどう解釈して噛み砕いていくか?みたいなのがいいんだろうけど。
ここがジレンマ。
僕だってよしよしってされたい!
めっちゃ褒められたい!
「大丈夫だよー」って言われていたい!
だからめっちゃわかる。
そんな葛藤を抱きながら、今日も大人になりきれずに大人を生きるのです。
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