大人になるにつれて不自由になっていないか??本来なら大人になることこそ自由になるんだ
めっちゃいい笑顔。お招き頂いて餃子とおでんパーティー。東京・三鷹台にあるパートナー院のHARI CURE TOKYOさんへ。
みなそれなりの転換期にきてるみたいで、僕の経験や知識などがその転換後に役に立ったら嬉しいね。それも僕の仕事。
↓リンク貼っときます。
みな子供がいるんだけど、いつも子供をみて大人に対して感じるのが
大人になるにつれて窮屈になっていないか?
って。
子供は自由なのか?大人が自由なのか?って考えた時に、世間ってのは正三角形のように上が狭まっていく感覚なのです。
段々と“不自由の中に飛び込んでる“。
知識を得て、経験を得ると自由になれそうなんだけど、知識がなくて経験のない子供たちのほうが自由な感じしない??
「自分らしく」なんて言うけど子供たちのほうがよっぽど自分らしく生きていないか?
最近学生に戻った。
家族がいて子育てして。仕事してお金もらって。学生で勉強して。習い事したくてドラム始めて。そんなことをやっていて感じた大人の空気感みたいなもの。
みんな言うんです。「自由でいいね」って。
でも、子供たちの自由が親のおかげでなりたっていて、僕の自由は妻や協力者のおかげで成り立っているんだけど、そんな「状態」ではなくて自分自身の思考や捉え方で不自由にしちゃってるってことがあります。
〜しなきゃいけないから
〜すべきだから
〜がないから
〜だったから
〜だと思うから
何年も生きてきた中で培った経験って財産なんだけど、その財産が逆に思考に鎖をつけちゃうんだよね。子供のときはあんなに生き生きしていたのに。
本当は経験から何を学んだか?何をこれからどうしていくのか?っていう内側への問いかけが大切(こういうのをメタ認知っていうらしい)で、それが自尊心とかを向上させてくれるんだけど、なんとなく経験をサーっと受け流して何も変わらず生きていると、三角形の狭まった頂点のように狭まった感覚になっていっちゃうのかも。
よくわからないけどなんとなくそうなってた。なんとなく今のこの感情だった。
それだと何も分析できていないことになっちゃう。しかもセミナーとか行ってその場でテンション上がっちゃって“いまだけ歪曲された自分“に騙されちゃったりもする。
もっと深く。もっと慎重に自分を発見できると自由に近づくのかもしれないね。
って思います。
1人でも多くの人が“自由“になれるように、心と体を分析してコーディネートしていこって改めて思ったのです。
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