キリキリと怒ってばかりのお年寄りは、学びをとめたから
なんだかおもしろい人と4時間半話してた。歴代2位かな。ちなみに最長は5時間。よくもまぁ2人とも話が尽きないもんだね。素面で、お茶2杯くらいでだからなおさらおもしろい。
僕も彼女もビジネスマンじゃなくて、自分の脳みそを売っているアーティスト気質なもんだから変なところがものすごい頑固なわけです。
そんな中で学問の話になった。
僕は今アラフォーで大学生になったけど、一般的なコースとは真逆をいってる。
経験と経験値として取り入れた知識が先にきて、今最終段階として学問を取り入れてる。
アーティスティックな人間は、自然の摂理とか表現力に根拠のない自信があるから学問を敬遠しがちなんだけど、学問の大切さっていうのは
とっ散らかってる思考のバラツキを調整してくれるもの
だと思ってる。そしてアイデンティティの一貫性がさらに強まる。
さらに、知識が増えると精度も増す。
なぜかと言うとアナロジーができるようになるから。
アナロジーとは「類推」のことで、あることを解決しようとしたとき、別のなにかを引っ張り出してきて解決させようとすること。
学問と経験がさらにそれを加速させてくれる。
だから勉強はめっちゃ大事。ってことは小学生にも伝えていいものだと思うなぁ。
学びをやめるってめちゃめちゃもったいないし、成長したいのであれば死ぬまで学び続けなきゃいけないと思う。
学びをとめたお年寄りがキリキリと怒ってばかりなのは、その人のステレオタイプで世界をみようとしてズレるから。
昨日の経験は今日には古くなる。
古くなったものを持ち続けていれば、錆びて動かなくなり擦り切れた金属音を発する。
それが批判。文句。いつまでも変わらない戯言。
明日を変えたければ、今日になにを学ぶか?
それが学問なんだと思うんだ。
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