個人的自由研究。
「バトン苦手」という理由を、せっかく心理を学んでるし、苦手な人のためにと思って書いたコラムが本当にかるーくバズって共感を頂いたようで。
まとめられたりがーるずちゃんねるでワイワイなってたり。
まぁ正解はなーんもどこにもないので話題にしてもらって批判し合わずに個人の考えるきっかけにでもしてもらえたらいいのかなと。
こんな感じで僕は人生や家族なんかを“実験の場“にして個人的自由研究にしています。
今、最大の自由研究は
人はどんな状況でも一貫性を保てるのか?
ってこと。
これはすぐには答えの出るものじゃないんだけど、例えば
嫌いだって言ってるものを嫌いでい続けられるのか?とか、「好きだよ」に一貫性はあるのか?とか。
だって、そもそも外っツラだけ愛想よくてお金のためにペコペコしてる人が、裏に回ったら全然違う顔してるのとかをめちゃめちゃ目の当たりにしてきてるから、人間はほぼ一貫性を保てない生き物なんだなって思えるわけです。
僕はカウンセリングとかコーチングを生業にしているし、プロだと思ってるから、例えばもし妻を犯したヤツとか、娘を殺したヤツが(もうすでに「ヤツ」って言ってる時点で一貫性保ててない。だってクライエントさんに「ヤツ」なんて言わないし思わないから)カウンセリングを受けに来たりコーチングを受けにきたら僕はそれに向き合わないといけないし、いけないんじゃないな、向き合いたいと思うんです。
ここだけを切り取ると
「猟奇的」になっちゃうけど、でもこれも一貫性を保てるのかどうか?の自由研究で、毎日のように頭の中で想像していること。
でも、実際の起こらない限りは答えは出ないわけで。
「私、お金にそんな興味ないんで」って言ってる人がもし目の前に1億とか積まれたらそれでもその気持ち保てるの?とか、嫌いだって言っときながら自分がスポット浴びたり大きな仕事になるってなった瞬間「嫌いじゃない」ってなったり、人間なんてけっこうそんな感じで一貫性を保てないからさ。
個人的な自由研究で試したくなってるわけです。まぁなかなか難しいよね。保つって。
都合のいいヤツだな
そんなほうがうまく世を渡れるかもしれない。
でも、平穏で一貫性のある、洞窟で坐禅くんで足腐っちゃった達磨みたいなほうが今のこんなコロナ禍では気持ちの変化は起きにくいし。
どれを取るかは個人的な自由。
僕はそうやって“めんどくさい“と言われながら世を観察しているのが楽しいのです。
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