見えないもの。答えがないものを発見するための唯一の方法。

三女が動物指差してワーワーと言うので、牧場か動物園に行きたいけどコロナ禍でほとんど閉園。なので、大型のペットショップで小動物と戯れる。

先週末は福井には車もかなり出ててたし、昨日から子供たちは分散登校が始まって少しずつだけど人の動きが出てきた感がある福井です。

ウィルスは目に見えないし、目に見えないウィルスに人は狂わされて目に見えない不安や焦りを感じた。


1000万円借金しても「人生お金がすべてじゃない」と心から思う理由 ポイントは今の状況をポジティブに考えること

「お金」=「幸せ」?「幸福」を語ると、どうしても主観的な話になってしまう。「100キロ超えたらスピードオーバー」のように「こうなったら幸せです」という絶対的な基準がないので仕方のないことなのかもしれない。お金に関してもそう。いくら年収や貯蓄、資産があったら幸せという基準もないし、人によって「いくらお金を持っていたら幸せ」は違うので簡単に数字では表せない。手元に1000円があったとして、これが「大金」なのか「はした金」なのかはその時の状況や環境、パーソナリティによって変わるからだ。僕は1000万の借金を背負ったことがある。いつかお金持ちになった時「人生はね、お金じゃないんだよ」って言いたかったのだが、お金持ちにならないままそう思うようになってしまった。というより、"お金持ち"の明確な基準もないわけだから、いつ言ってもよいわけだけど。(文:ちばつかさ)お金があれば幸せなら、借金を背負ったカウンセラーのところに人は来ないはずもし、「お金が多ければ多いほど満足度や幸福度ポイントが高い」なら、僕よりお金を持っている人の方が幸せということになる。僕は貯金がほぼ0で、借入があるためマイナス。単純に考えると借金がない人は僕よりも満足度や幸福度が高いはずだ。そんな状態の僕はカウンセリングルームを運営している。お金があればあるほど幸福度や満足度が高いなら、借金がない、あっても僕より少ない人は僕のところに来ないはずなのだ。それでも、いたって普通にやってくる。やはり、人間の心は数字で決められない。ノーベル経済学賞をとった行動経済学者のダニエル・カーネマンは、収入があがれば日々の幸福度も人生の満足度も上がるが、日々の幸福度は7万5000ドル(約900万)が頭打ちでそれ以降はあがらないとしている。「愛はお金で買えるのか?」「お金は不都合や不幸を減らせるのか?」といった話は尽きが、「幸せはお金では買えないけど、ある程度の不幸は減らせる」と思っている人が一番多い。あくまで僕個人の聞き取りになるが、それが大まかな認識。しかし、お金を持ったからこそ不幸を感じている人もいる。例えば、宝くじが当たって大金を得た後に仕事をやめ散財して逆にすべてを失った、お金を増やさないかという話を持ちかけられ奪われた、以前なら手が届かなかった高価なものを買うか否か迷ってしまう、とか。失うことが怖くないこともあるだろう。もち

キャリコネニュース


今でも先の見えない経済などの状況に不安になる人も多いはず。

目に見えるものを「こうだ」と言うことはできるかもしれないけど、目に見えないものをコントロールするのは難しい。

愛とか恋とかも目に見えないし、不安や恐怖も「ここに持ってきて見せてよ」って言っても持ってこれない。

そんな見えないものに僕たちは震える。

でも、その見えないものを唯一可視化してくれるものが

考える

ということなんだろう。


いったいこの震えは何か?
なぜ焦っているのか?
このドキドキはなんだろう?

僕たちはなぜ生きているのだろう?

共通した答えなんてそこにはなくて、自分で考えて自分で答えを出していくことで自分にしか見えない“答えみたいなもの“に出会う。

子育てなんてまさにそれだね。

子育て本を擦り切れるくらい読んだって、目の前で起きることは答えのない事態ばかりが起きる。子供をみて自分の心もざわつくし、ざわついた心だと世界も歪んだりするし。


見えないものを考えていく。
その思考がないともしかすると見えてるものに対する意味すら失うのかもしれない。

このコロナ禍もどれだけ考えるか?で未来が変わるし、むしろ考えないと何も発見できずに取り残される可能性もある。

僕は見えないものを商品にして売っているけど、その商品も考え続けないと価値が生まれてこないよね。

毎日が思考の繰り返し。

なぜ?どうして?

自分自身に対するその疑問の投げかけが、問題を解決する一歩。

今日の無限の問いかけをして、答えのないところに答えを見出していくんだ。

ちばつかさ こころとからだの中身から

元プロ野球選手の柔道整復師 こころとからだのコーディネーター ちばつかさのWEBサイト

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