人の話や意見はポジショントークにすぎない

“相手の気持ちを理解してー“
そんなことを言われることもあるし、それが良好な関係を築ける方法のうちの一つなのかもしれないんだけど、相手の気持ちを理解することには限界がある。

たとえば、親が酷い虐待やネグレクトの環境下で過ごしていた人の気持ちは、恵まれた環境で育った人にはわからないし、もちろんその逆も然りで虐待やネグレクトを受けてきた人は恵まれた環境で育った人の気持ちはわからない。

これは兄弟でも一緒で、長女の気持ちは長女にしかわからないし、間っこや末っ子の気持ちはそれにしかわからない。

つまり、“その人の意見“や“その人の考え“はあくまでもその立場からのポジショントークでしかないわけです。

アドバイスも然り。

あんたはその立場だからそれを言えるんだよね

ってことが成り立ってしまう。

けど、そこにどれくらい理解できるか?
どれだけそのポジションのことをイメージして想像して自分に当てはめて考えられるのか?は、政治家にとっては重要なことだし日々の人間関係には欠かせないのかも。

もし、自分がそのポジションだったらどうするのか?


今の自分のままでいられるのか?
同じ気持ちで一貫性を保てるのか??
みてる景色は変わらないのか???


わかりやすい例は年収。

年収1億円の人と年収150万円の人がいるとする。年収1億円の人はお金を稼ぐのが上手な人と仮定したとして、年収150万円の人はそれを妬むかもしれないし、羨ましいと思うかもしれない。時に、相手を批判して下げようとするかもしれない。

一方で年収1億円の人はお金を稼ぐのが上手だし、育った環境もよかったからお金に困ったことがないと仮定する。

そんな時年収150万円の人をみて、稼ぎ方が下手だと思うかもしれないし、生活習慣が悪いと思うかもしれないし、指摘することはたくさんあるかもしれない。

じゃあもし、そのまま立場が逆転したらまったく同じことを思うのだろうか?

それを想像してみるとおそらく、そのポジションに沿った意見や考えを持つんだろうと思う。

りんごを食べたことがない人にとって、りんごの味は想像でしか語れない。

もし自分がその立場だったら?

死んだことがある人はこの世に存在しないから、死後のことなんか想像できやしないんだけど、それに近いのかな。

それでも、限りなく近くそれを想像することはとても大事なことなんだと思う。

もし僕が家がなかったら?
もし僕が娘を殺されたとしたら?
もし僕が年収100億だったら?
もし僕が女性だったら?

その立場の人のことを考えたり、その立場の人の意見を参考にしながら自分のポジショニングを決めていくしかないんだよね。

立ち位置は絶対に全員違う。

それを忘れないようにしなきゃいけない。
そう思うんです。

ちばつかさ こころとからだの中身から

元プロ野球選手の柔道整復師 こころとからだのコーディネーター ちばつかさのWEBサイト

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