諦めることを知るために、まずは諦めずに走り続ける
どうやら、「最高」を常に目指すマキシマイザーというのは、楽観的でも幸福でもなく鬱になりやすいそうです。
逆に、サティスファイサーという「満足」に重点をおくほうは満足度も幸福感も高いそうで。
諦めた者と 賢い者だけが
勝者となる時代に どこで息を吸う
RADWINPSの歌の歌詞にあるみたいに、もしかしたら賢くて諦められる人がサティスファイサーになるのかもしれない。
というのも、マキシマイザーを一旦経由しないと“最高地点には死んでも到達できない“ということに気づけないんです。
最大化は無限だし、上を見ていたらキリがないし。
プロ野球選手の夢を途中で諦めた。
それは「やりたいこと」が必ずしも「できることじゃない」ことを追いかけていた中で知ったから。
お釈迦様は悟りの修行の中で、いくら修行しても悟れないということを悟ったと言います。
追い続け、追い求めたからこそ気づく境地。
僕は、いつの日か向上心に諦めをつけた。
それは
生きているだけで満足だってことを知ったからなんだけど、何故か不思議で、諦めることを受け容れた後のほうが状況がよくなり、幸福感を感じられるようになった。
力を抜いたほうがパワーが出て
求めなくなったほうが求めるものが手に入るという不思議。
弱い紐帯の強さ
という言葉があるように、ゆるい力のほうがパワーを発揮する。
弱さの向こうに力強さがあるんです。
イキんでいれば、何かが狂う
求めていれば、手からすり抜ける
渇望すればするほど、虚無感に襲われる
ロケットダッシュ、そしてより速くより力強く走るための方法よりも
より気持ちよく、より長く走れる緩める方法を知ったほうが溢れる光に包まれる気がします。
その方法を知るためにはまず
より速くより力強く走る方法を全力で掴みにいくんだ。
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