相手を肯定する自分に酔う。という技術
愛は技術であり学ぶことができる
エーリッヒ・フロムって人は著書『愛するということ』でそんなことを言いました。
「愛に技術ってなんだよ。愛なんてものは感情で感じるものだろ」ってなりそうなんだけど、実はそうでもないみたいです。
愛されない人と愛される人の違いにはおそらくなんらかの”差”があって、それが自分自身から人を遠ざけたり近づけたりもするのかも。
その”差”のうちの一つに
許容
ってものがある気がします。
どれだけ自分自身と自分以外を受け容れて認められるか?っていう器みたいなものかな。
会話一つとってもそれはわかって
相手を肯定しているか、それとも否定しているか?で受け容れ方や今後の関係性を大きく変えていきます。
「ねぇ、今日さ、こんなことがあったんだ」
っていう問いかけで会話がスタートした時
それに対して
否定的か肯定的かで関係性の未来は決まると言っても過言ではない。
「ふーん。そんな暇あるなら違うことすればいいのに」
「それよりあれやったの?」
「ずいぶんお気楽な立場なのね」
みたいに否定されたら人間誰だって嫌になります。相手の状態によって自分の自尊感情が保てなくなると否定してしまいたくなるのが人間なんだけど、そこからもうちょっと視点を変えて
相手を受け容れて相手を喜ばすことで
「相手を受け容れることができた自分」
に酔ってみる。それでも自尊感情は保てます。
「そうなんだ!どんなことがあったの??」
「今度それ教えてよ!」
「すごいね。一生懸命やってたからね。ほんとすごいよ」
って肯定できると相手にも自分にも有益なんだけど…ついつい条件反射的に否定しちゃったりするもんです。
ちょっと否定を我慢して、受け容れて肯定してみると関係性が変わっていくかもしれないですね。
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