アソビ。
文字と向き合うという日々を繰り返すために認知資源を節約してたら、すっかりブログを書くのをほったらかしにしていました。
久しぶりの投稿です。
この醤油豆腐カツ丼を食した何時間後かにニュース速報で三浦春馬さんの死を知ることになったんだけど、世の中って不思議なものでどこかで笑っている人もいれば、その間に自分を苦しめるほどに苦しんでいる人もいて、その人が遠ければ遠いほどまるで他人事。
訃報を伝えるニュースやワイドショーも、訃報を伝える終わったあとにはにっこり笑顔で
「続いてはエンタメです(ニコッ)」
ってバサッと切り替わる。
世知辛い世の中です。
野球レッスンなどでたくさんの子供たちと関わってきたんだけど、真面目で一生懸命な人ほどうまくいくのではなく、皮肉にも真面目で一生懸命だから「聞き流す」ことができなくて、心をかき乱されてしまうことってたくさんあります。
車のハンドルに“アソビ“があるように、心の中に“受け流せる余白“がないと笑ってそれを見過ぎせずに壊されてしまいます。
イメージで言えば、心の周りに受け流しクッションがあるかないかで、壊れ方が変わってきてしまうって感じかな。
“なければいけない“
という義務感、正義感はそうやってぶっ壊れてしまう。
もう、なにが正解なんだかわからないよね。
硬ければ対応できずに称賛され
その称賛は余計に緩めることを許さなくなり、硬さは増して壊れやすくなっていく。
どこかでクッションを得ていかないと、心は劣化してしまう。
付き合いかたって難しいです。
だって、上塗りしてるキャラを周りが称賛してしまえば、余計にアソビを出しづらくなるんだから。
心の芯よりも大切なものは、受け容れ受け流す“アソビ“のほうなのかもしれません。
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