諦めろ。
野球を教えない野球レッスンを始めて6年目。
先日、5年生の子が練習試合で右中間にホームランを打ちました。
昨年は卒業生がU12の日本代表・侍ジャパンに選出されたんだけど、僕は徹底して
教えない
を貫いてきました。
教えないから怒りもしないし、もちろん殴りもしない。
人ってどうしても“ポジション“を持つと何かをやりたくなります。
指導者というポジションを持てば教えたがるし、親というポジションを持てば子育てや教育をしたがる。
夫なら妻を喜ばせ、妻なら夫に献身的になろうとする。
でも、それ、必要なくね?
歩き方を子供たちに教えないように、人は勝手に成長するものです。
人って言われなくてもやる時はやるもんです。興味のあることや知りたいことは、こっちからアプローチをかけなくても向こうから聴いてきます。
大切なのはそのいつでも対話できる状況づくり。
僕は
諦めること
こそ究極の愛だと思っていて、人が持つ執着とか嫉妬とか羨望とか夢とか希望とかそんなものを捨てて諦めるところに愛があって、その愛に出会った時に実はすべてを獲得していたりするってことになんとなく気づきました。
さらに、他人に対しても“諦める“と人間関係も楽になります。
誰かに対しての期待や疑念、そんなものも全部諦めるんです。もちろん妻や子どもたちにもです。
アドラーは支配欲や権力欲を捨てろって言ったけど、まさにそれこそ“諦める“こと。
なにもない目で見る自分以外のものは、やけに新鮮で楽しいもの。
そこに気づきが生まれたりもするんです。
人間は諦めた時に初めて、獲得したいものを獲得できる切符を手にするんです。
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