「ゆるす」ことの難しさと重要度。
昨日は炎天下の中、娘たちの陸上大会を観戦。前日にアスリートナイトゲームズという陸上の大会が行われて、桐生選手やケンブリッジ飛鳥選手が来ていた9.98スタジアム。
めっちゃ空が綺麗。
「やれ」なんか一言も言ってないのに陸上っていう自分との戦いの元祖みたいにものに飛び込んでいった娘たち。すげーな。学ぶこといっぱいです。
さて。
先日、バッドマンシリーズの映画をみて「正義」とはなんぞや?みたいなものを考えさせられていたんだけど、僕は昔クソ真面目に生きていたのを思い出しました。
今もどっかにクソ真面目な気質があるから緩め切れていない部分はあるんだけど、そこはもう自分で理解して許容しました。
真面目が度を越すと偏った正義になりがち。
ゆるせない
ってめちゃめちゃしんどいことなんですよね。自分に対しても他人に対しても“ゆるせない“っていうのはめっちゃしんどい。
娘たちが自分で始めた陸上で、自分のタイムがゆるせなくてまた頑張るっていうのなら向上心があっていいんだけど
だらけている自分がゆるせない
真面目じゃない他人がゆるせない
笑ってる誰かがゆるせない
って苦しいよね。
僕はそれで過去、自分も他人も傷つけてたって思う。キツすぎるネジは壁も壊すしネジ山も壊れるしいいことないね。
自分でできることなんか限界があるし
とりわけ神様でもなんでもない僕たちは
自分が完璧になれないことをゆるしたときに初めて完璧に近づけます。
それに早く気づけば気づくほど成長も早いと思うんだけど、なかなか気づけないしやっぱり真面目な人にとっては真面目を拭い去れない。
ゆるめるってとっても大事ですね。
考え方や関係性。
捉え方や歩き方。
キツキツになっているとみえないことでも
ゆるめた先にみえることもたくさんあります。
できない、かっこ悪い、真面目じゃない
いろんな不完全をゆるすこと。
死ぬまでにぜーんぶゆるせたら死ぬこともゆるせそうな気がします。
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